ふみ’sレター
とがしふみ しやま礼
         

2001-6
このところ、グ〜ンと暑くなってきましたね。特にパソコンの前は、何故か暑い。
ココは日当たりも良いし、風通しも良いのですが、その分、暑いし風が吹き込みすぎる。マッ、なんでもベストコンディションは、望めないもんですかねえ〜。イヤイヤ、それを目指していくから、世の中の事って向上していくもんです。
“向上”って「上を向く」って書きますが、この歳になると(ホントは自分では“この歳”ナンテ思ってない人に限ってコウ言う)上を向く姿勢があんまり無いよな〜、と。コレ、生きる姿勢も込めてなんですけど・・・・・・・。
現状維持とか、当たり障りの無いトコで維持しているつもりでも、実は下がって来ているのが現状でして、体型、そうボディラインなんてのが、とってもいい例ですね。若い頃と、さして体重の変化はないと思い込んでいても、バストダウンはしているし、ヤケに背中が伸びた?と思ったら、ただオシリが下がってきただけだったり。現状維持に自己判断は禁物ということ?
このコーナーの更新をずっとサボッていた間、私はひたすらダンスを踊っていたのですが(自称ダンサーなんだモ〜ン)、発表会にソロ・ダンスを踊ったもんで、私としては久々にとっても“向上”した日々であったように思っています。ただ、まわりのみんな、特に家族にとっては“下落”の日々?だったかも。
その発表会で一緒に踊ったメンバーは、みんなピチピチの若〜いおねいさん達でしたが、メリハリのきいたボディラインには完敗でした。全てが“上を向いて”いたもんね。(決して張り合うつもりはないけどサ・・・・・・ひとりツブヤク) まっ、私は楽しく踊って、家族やお友達からイッパイお花やプレゼント貰って、とってもイイ気分でした。私にとっての“向上”は「気分が上を向く=上機嫌」って事ですね。

さてさて、このところの国会中継も、なかなか「向上」しているTV番組のようです。芸達者揃いの役者が繰り広げるエンターテイメント・ショーは、目が離せない面白さですよね。だいたい、ワイドショーが国会中継のダイジェストを放映するってのは、かつてはなかったことですよ。こう、国会中継の視聴率が高くなると、放映権をNHKだけで独占するのは、独禁法に違反?なんじゃない。
そのショーのセンターに位置するのは、もちろん真紀子外相。
私は、このおばちゃん、スキですね〜。
スーパーのレジに並んで、隣りのおばちゃんと世間話している光景がヤケに似合うよーなヒト。
小泉首相の応援演説の時から、バッサ・バッサと切り抜いてマクシたて、トークの歯切れの良さはお見事でしたよね。
ところが、人気はまだまだ上昇していく中、内閣の「アキレス腱」呼ばわりされているのは、なぜ?
資質の問題とか、お嬢様育ちのワガママとか、言われぱなしですよね。
否定的な人達の中では、力量も発揮できないでしょうケド、ココはひとつ頑張って欲しいですね。
日本の政治の舞台で、女性がセンターを押えることが出来るのは、実にマレなだけに、この「立ち位置」は是非とも外さないで欲しいなあ。
あと「ドタキャン問題」なんてのも、イイですね〜。
自分の体調とか、個人的な事情で予定をキャンセルするくらいの気持ちでいないと、政治家である前に“1人の女性・母・妻・人間”をやって行けないじゃない?この「普通のヒト」感覚が今の政治家には欠如している大切なトコなんですから・・・・・。おわかり?
真紀子節が炸裂して、「エキサイト・ショー・アップ国会」を期待しています。


毎年この季節になると、定番の「家庭訪問」がやって来ます。
先生を招き入れて、いろいろとお話を聞いたり、こっちからも家庭での子供の様子を話したりと、まあ、さして特別なことでもないのですが、この“特別ではない”ということが、むしろ大変でして。
と言うのは、特別な日のお招き、例えばお誕生日パーティーとか、ランチやお茶のお誘い、テナものなら、非常に分かりやすい。目的もハッキリしているし、相手も大抵は気心しれたお友達。派手に飾るか、サッパリと落ち着いたカンジにするか、好みでナンとでもなるんですが、「普段のご家庭の様子を見に来る」っていうから、厄介なんだな〜、これが。
「普段」は基本的に来られちゃ困るのよっ。
なんでかって?そりゃそーでしょう、普段は散らかっているからよ。
この日のために必死に片づけたケド「普段からキレイにしてありますの、タクは」テナ具合に、決して「お母様の普段の手抜きお掃除」を感じさせない、見せないようにするのは、精神的にも体力的にもメチャ疲れなのです。
よって、ワタクシは、他の多くのお母様方と同様に、「先生目線チェックマニュアル」に沿ってお掃除しています。
まずは先生の身長から割り出す目の高さをチェック。忘れてはならないのは座高。眼鏡をかけているかの視力チェック、そして、参観日や懇談会時の先生の服装観察など、データ入力は多岐にわたります。
これから割り出した先生の動線・目線を深く研究し、ポイントをしぼる込む。重点ポイントのみを丹念にお掃除し、あとはほとんどやらない位の潔さ?
最後にココロの動線を組み込んだ私のトークで、イニシアティブはこっちのモン。
と、これ位はみんなやっているよね〜・・・・・・・?
追加・・・・兄弟姉妹の時間調整は微妙です。同日はもちろんですが、来訪時間が近すぎても、離れすぎてもダメ。近いとこっちの頭が切り替わらないで、とんでもないことを口走ってしまいます。特にウチのように年子の同性だと、話しが厄介です。
「宿泊体験学習はいつですか?」「去年行ったので、今年はないんですよ」「はあ〜?」(しまった、このヒトは上の子の先生だ)
時間が離れすぎているのも、この“空白の時間”に部屋が散らかるか、散らかさないために私が部屋番をしていなきゃならない。どちらも大変である。
まあ、一番イイのは「時間がハッキリとしないので、こちらから学校に出向きます」というヤツかな。
私の友達は、このテで厄介な「家庭訪問週間」を何年もクリアーしています。

「家庭訪問」の本来の意味なんてのは、いったいナンなのでしょうか?


2001-4
今ではスッカリ、オバサン化している私にも、お年頃の女の子時代はあった。
それはそれは、すっごい、泣く子も黙るくらいのバリバリ反抗していた中学生だった。
横道ギリギリそれずに、リッパな(リッチにはなれず・・・・)大人の女になった今、同じようにバリバリ・ガンガン反抗期バク進中の娘に、当時の自分を見ているような、フクザツな心境のコンニチです。

中学2年の長女。下には年子の妹、上は二人の兄。上と下に挟まれた“だんご”の中途半端な3番目。微妙なポジションである。
学校や外の世界でテンぱっている分、家や親には最悪な態度。かと思うと、これでもか〜ってくらいに甘えて、おメメの中にお星さま白ヌキのキラキラモード。ただ、これは要求が100%満たされた時だけの限定モノ。世の中思い通りにならないことの方が多いんだから、当然キラキラモードは発生率的には確実に低い。トコロが、この年齢、何とも低い発生率が気に入らない。
自分の思い通りにならないのは「外の世界」では100歩譲っても、「ウチの世界」では譲れない。タイシタコトでもないのに、ガンとして譲れないのである。
今日の我が家の一戦も、たあいのないTVチャンネル争奪戦だった・・・・・・・ところが、これに“泣き”入ると事態は一変する。
ひとつ違いの妹とジャレあってリモコンの取り合いをしていた夜10時。ひとしきりゴールデンを堪能した後に事件はやってきた。
リモコンを奪われた中一娘は、まだまだ口でもカラダでも中二娘にはかなわない。たったひとつ違いではあるけれど、先月まで小学生だった末娘と、1年間中学校の荒波にモマレ、口もカラダも成長著しい長女との実力の差は歴然としていた。

どこの兄弟・姉妹でも、分の悪いほうがいち早く、親許にやって来て“助け”を求める。たぶん、弟や妹の方だろう。
大粒の涙を流して、お腹を押さえシャクリあげながら
「おねいちゃんが・・・・・・おねいちゃんが、やった」
「背中を蹴飛ばされて、お腹の方まで痛い」と中一娘。
ついつい小さい子の方をかばうことが多くなる兄弟ケンカ。普段なら「そうかそうか、可愛そうに。痛かったねえ〜」と半分赤ちゃんコトバでナデナデしてしまうところだけど、夕食後のTVタイムで、すでにこの一戦の火種は確認済みだったワタクシ・母は「ハハ〜ン」と事態の全容をつかんでいた。
中二娘を呼んで、一戦交えたコトの全てをそれぞれから聞いた。子供だって、自分に都合の悪いことは決して言わない。(オトナの私なんかは、とぼけちゃってシランカオすることが、ここのところヤケに多いが)
二人から“それぞれの現実”を聞いた後、ワタクシ・母は低い声で言ったのです。(ココは思いきり低い声で、腹式呼吸のドスの効いた声、地の底からしぼり出すような声が、非常に効果的デス。上二人の男の子は完全にビビっていました、コレで。)
「このところ、ケンカの原因はTVだよね」
(ボソッとはきだすように)
「お母さんはずっとイヤ〜なカンジだったんだけど、言わなかったのはさ〜、お母さんがそのことで言うとしたら、TVの制限を付けることしか思い付かないからよ・・・・・」
(ちょっと悲しそうに。ここは必ず効いているハズ)
「TVだけじゃなくて、ゲームやメールだって同じ!!自分で判断してこのくらいって言う加減を知って欲しいんだよね。何でも程度問題でしょッ」
(「・・・・だよね」のトコロは困ったように、でもキッパリと)

私は子供のケンカの仲裁はすっごく苦手デス。裁判官になって白・黒ハッキリさせて「あやまり」を入れて解決するのは、無理があるし、双方が納得しないことが多いから。ナンダカンダとあまり道理を言わず、「非常に不快な気分だ」と言う事を伝えるようにしています。時間もせいぜい10分程度かな。子供は長い説教など全く聞いていないし、効かない。
この時も一旦は切り上げた。二人に終結の「もう、いいよ」を言い渡した・・・・・・が、この後の中二娘のぶっきらぼうな態度に、冷静でココロ広いオトナの女は、ブッキレタ。
階下に降りてコタツにもぐった中二娘の前で、仁王立ちのワタクシ・母。
「あんたね、いい加減にしてよね。思い通りにならなかったり、イヤな事言われるたびに、これだよ!!」
(ヤバイ。マジ切れてしまった、ワタクシ)
「アンタのこた〜、それなりに仕方ないな〜と、思っていたけど、ここ最近のアンタの態度には、腹が立っていたのよ」
(このあと、シャキシャキの江戸っ子弁でまくし立て、延長15分)

結構興奮していたワタクシ・母は、今では何を言ったかは、もう覚えていない。想いはすぐに表現して、後はサッパリと忘れてしまうタチなので、カンペキ忘れている。
ただひとつ、ハッキリと覚えているのは、最終ゴングの響きと絶妙?なタイミング。
ゴングの音は衝撃的だった。それは♪チ〜ンでも♪カ〜ンでもなく、実に妙な音だった。
しかし、まさに人間味あふれる生理的な音でもあった。
♪ブウ〜
・・・・・・・・・・クイズの不正解の音ではない。

おなら、オナラ・・・・・・ガス、天然ガスだ。
発生音源は、うしろに居た。
風呂から上がり立ての裸の亭主が、ソコに居た。
ビールを取りだそうと冷蔵庫を開けた弾みに、暖まったカラダの後方下半身筋肉が緩んでしまったらしい。
「この状態で、するかね〜?」
ヘラヘラ顔の亭主を見て、ワタクシ・母の興奮は一気にサメタ。
そして中二娘は、オヤジの屁に救われたというオチでした。


2001-3

春一番が吹きました。
どーも、あくびの連打だと思ったら、ヤッパリ春が来たのね。
あくびをすることは、カラダにとって実に自然な調整法らしく、カラダが緩んで体内バランスをとってくれるとか。自然の動物達が、春になると変化するのと同様に、人間も「春のカラダ」になるそーです。
あくびはシーズン開幕前のキャンプのようなもの。そこでしっかり調整して、この一年のペナントレースに臨むってことでしょうね。まっ、私の場合はキャンプの回数も期間も多すぎて、周りに閉口されていますが。
様々なことが開幕していく春です。何かにチャレンジしてみたくなる季節ですね。
まあ、とりあえずは、自主トレからスタートでしょうか。ポコッとムチッとついてしまった余剰肉をしぼって、軽やかなカラダにしなくては・・・・・・・・。
そうそう、スカートなんかもはいてしまおうかな〜?と。半年以上ずっと足出していないンですよ、ワタシ。そろそろ、足にも陽を当ててやろうじゃないかと。カラダだけじゃなくてココロや魂にも陽を当てて生きたいですね(う〜ん、良い事言うじゃない、ワタシって)

ココのところのお気に入りのアルバムは「Mary J Blige」の“BALLADS”
レナウンのCM(だったかな?)で、中山美穂と男前のお兄ちゃん(名前忘れた・・・・実は知らない)が、屋上のプールサイドに立っている、チト意味不明の映像ですが、アレのBGMにも使われている♪OVERJOYED♪。Stevie Wonderの曲です。
メアリーが歌うと、スティービーとはだいぶ違ったカンジになりますが、どちらも私は好きです。
スティービー・ワンダーの“こぶし”の効いた歌い方は、説得力を持っているし、何故かググッーとッココロに深く届くでしょう。ヤッパ、ど演歌とソウルミュージックの共通性はこの“こぶし”でしょうかねえ。
缶コーヒーのCM「ファイヤー」を、八代亜紀の姐さんと五木のダンナが歌っているのも、うなずけちゃうな〜。スティービー・ワンダーの曲ならではのキャスト?でしょッ。最近2人の出るバージョンにお目にかかれないのは、チト残念ですが。
メアリーが歌うこの曲は、とっても軽やかですね。
「ヒップホップ・ソウルの女王」と言われるだけの、声の厚みを持っていながら、サラッと軽く流し、しかもサビの部分は期待通りに聴かせてしまうあたりは「ほほ〜ん、なるほどね」ってトコでしょうね。女性の柔軟で前向きな発想と、タフで包容力のある優しさってヤツを、この歌に感じてしまうのはワタシだけ?
もうひとつ、このアルバムに収録されている♪Everything♪は、♪You are everything♪(スタイリースティックスやダイアナ・ロス&マービン・ゲイの定番ラブソング)に、ナンと♪上を向いて歩こう♪をリミックスした曲です。なかなかイイ感じで、ホッとするような暖かさのあるナンバーです。おすすめ!
♪SUKIYAKI SONG♪として、ここのところ、また注目を集めている懐かしい♪上を向いて歩こう♪ですが、“懐かしい”ではなく“新鮮”に感じる世代の「新曲」なんでしょうね。
この手の「新曲」といえば、やはり缶コーヒーのCM♪明日がある♪。ウルフルズが替え歌にしてカバーしていますが、歌詞がわかりやすくて、共感できる内容なので、広い年齢層にウケているようです。ウチの子たちもハマッています。
以前このコーナーでラップの事を少し書きましたけど、歌詞に共感できるってうれしいですよね。単調なリズムに含蓄ある「おことば」が乗ってくると、七福神が宝船に乗ってくるような、一気にツキや運が回ってきたな〜と感じてしまう・・・・・・これもワタシだけ?
やっと?チャートインしてくれた♪モーターマン・京浜急行3VF♪もハマッてしまう、いやいや、ニヤッとしてしまう曲ですかねえ。京浜急行駅の構内アナウンスや車内アナウンスが、「作品」になった実にユニークなナンバーです。おもしろいです。

今年のグラミー賞カントリー部門を獲ったFaith Hillの♪Breathe♪。先日ラジオで聴いて“撃たれて”しまいました。明日CDショップに走ります。


2001-2

ごぶさたデス。
年末年始なんてことばが、ずいぶん昔に感じる今日この頃。
そーだよな、もう節分だもんな〜。
のん気なわりには、欲張りな私は、抱えきれないくらいの、まぜこぜ雑事に追われていました。
そんな中、先日久しぶりに電車に乗りました。
 寒いし遠いし、面倒くさいし・・・・・・・で、いつも車で出掛けちゃう「ずぼらなヒト」なのですが、その日は何故か“のり気”になり、寒いのに遠いのに、面倒くさいのに、駅までチャリでブッ飛び走り。
私が住んでいるのは、横浜の港北ニュータウンの中心地。ここのところ注目を集めているオシャレな街デス。撮影のロケバスなんかもやって来ては、CMやドラマに使われる「住んでみたい街NO,1」だとか。
 街がまるごと住宅展示場、キレイなお宅が立ち並ぶ公園沿いを、私はひた走りにコギまくったんです。この寒さですもんね、風切ってサワヤカに走るなんてモンでは、当然なくて、鼻水たらし、涙目になって全身引きつって、豪快?悲壮?な走りを見せていました。
オシャレな街には不釣合いな光景デス。
 さて、横浜市営地下鉄の「センター南」駅から「伊勢佐木町」まで、久しぶりの電車の旅?
そう、そう、先日亡くなった歌手の青江三奈のブルースの街です、伊勢佐木町は。
あっ、余談なんだけど、青江三奈って私の古い友人のオバサンなの。中学の頃♪アッハン、ウッフン♪がブレイクしていた時、彼女は何故か、親類だと言われるのがとっても嫌だったみたい。
もうひとつついでに、そのふる〜い友達は♪♪だあれもいない海♪の南沙織にそっくりで、超モテモテでした。
 
 伊勢佐木町までの車中、♪シュドゥビ、ドゥビ、ドゥワ〜♪が頭の中を何十回も流れて、それが効いたのか、私のやらねばならぬお仕事はひとつクリアできました。
電車の中って意外と有意義に使える空間と時間ですね。
お仕事はイベントのアナウンス原稿を仕上げること。「御来場の皆様に御案内申し上げます」って、アレです。電車の揺れのリズムと、停車の感覚(間隔)が、何ともイイ感じになって、バッチリとハマって仕上がりました。
 人気振付師の「サクラコさん」・・・・・・(こんな名前だったかな〜、)
TVの取材で彼女は、「私は移動はほとんど電車です。色々な刺激を受けれるから」だつて。
あの慎吾ママの♪おはロック♪とか、コンビニのミニストップCMの振付で、独創的でコミカルな動きのダンスは、電車の中から生まれたんだ〜、な〜るほどネ。
電車ってクリエイティブな空間だったのね。
 ところが、最近の若いモンは・・・・・・
(こーいうコトバがでてくると、マジ・ やばい。トシとった証拠なんだけど、まあいいわ)
クリエイティブな事には、変らないのかもしれないんだけど、「自分の顔つくり」に夢中になっているのよ。化粧ポーチを広げて、メイク道具を膝の上にしこたま載せて、鏡の中の自分の顔に真剣に取り組んでいるんだもん。
おいおい、化粧は家でやってくるか、“化粧室”ってとこがあるでしょうヨ。
が、しかし、隣りのそのコは、悔しいけど化粧はマジうまかった。
1駅越えて行くたびに、その顔も変身してきて、降りるときには立派なフル?メイクでした。
メイクが下手な私は(まあ、その素顔がステキ、ってよく言われるからイイんだけどオ〜)ちょっとそのテクを、メモりたかった。
やっぱ、電車は刺激的だ。

と、そこで知り合いを発見・・・・・・。
偶然、真ん前の席に座ったその人、このコーナーのイラストレーター・しやまれい さん。
声をかけると、トンでも無いものを見てしまったようなようなビックリ顔だった。
「これは ナンか偶然じゃないよね〜」
そう、私は知っている、偶然じゃないよね〜、これは。
必然なんだよね、私に気づかせるために、宇宙的規模で作り上げられた、偶然に限りなく近い必然なんだよね、これは。
でも、大丈夫。私はシッカリと気がついているのさ、知っているんだも〜ん、この偶然を装った必然的な出会いの意味は。
彼女は別れ際、ニコッと優しく笑って手を振ってくれた。
優しい笑顔は、宇宙の無限の優しさと結びついていて、私にメッセージを贈ってくれた。

「おいおい、いーかげんに“ふみ’Sレター”更新しろよ」
ありがたいオコトバ、ハッ、ハッア〜。
電車は無限に刺激的だった。


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