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cezanne
1839-1906

 風景画を描こうとしてスケッチブックに向かうと憂鬱になる。想像してみて欲しい、目の前に木が1本あるとして、その枝の数、葉の数は想像するだけで気が遠くなる。ひとつひとつ描くわけではないといわれても、適当に描けば、目の前に見えている景色とはかけ離れたものになってしまう。
 問題はもう一つある。私はいちばん興味を引くものから描く癖がある。例えば目の前の木を描こうと思うと、苦労しながらもどんどん描いていく。そしてほぼ描ききったときに、その木の枝を通して後ろの方に建物があることに気がつく。細く入り組んだ枝の向こうにハッキリと見えている。いったいこれをどうやって描けばいいんだと、途方に暮れてしまう。そして自分がうまく描けないと、なんでこんなものを描くんだ、と悪態をつき興味を失ってしまう。こうして風景画は、いつしか私にとってつまらない絵になってしまった。
 セザンヌは知っていたが、学生時代にあまり興味はなかった。ごく普通の絵描きではないかと思っていた。静物画が上手いと言われて見てみたが、置いてある布地は石膏のように見えた。しかしあるとき赤いりんごを描いたときに、まねをしておもいっきりグリーンを混ぜてみたらうまく描けた。その程度の印象だった。

 それから何十年も経って、私はセザンヌの風景画を見ていた。ぼんやりと眺めるようにみていた。その時だった。絵の中に描かれた風景がまるで3Dのように浮き上がってきた。目を凝らすとますますクリアに見えた。湖の対岸にホテルか何かの建物が見え、白く輝いている。どんどん近寄ってみても、すべての細部まで見ることができた。日差しの暖かさや、風の匂いまで感じられるような気がした。私はまさにそこにいて目の前の景色を眺めていた。あまりのリアルな体験にぞっくとして、その瞬間に絵の前に戻ってきてしまった。
 これをセザンヌは見たんだ、と思うとそのすごさに言葉がなかった。
 この作品以降のセザンヌはまるでキュービズムの様な風景画を描いている。彼の死後しばらくしてから登場するキュービズムは、時間と空間は存在しないと考えている。言い換えれば一瞬をとらえた絵の中に、時間とか空間とか呼ばれているものを表現できる、と考えている。したがって一枚の絵は、絵であると同時に360°見渡せるムービーでもある。
 これを見ることができるプラグインは、たぶん誰でも持っているはずなのだが、私自身もあの体験以降いまだにうまく使いこなせない。