ピカソほど強く影響を与えた画家はいないだろう。彼の絵を見たとき、私の小さな悩みはすべてとんでしまった。
子供のころ絵を書いていて、ひとつの悩みは鼻だった。なにも考えずに描いていたときは気にならなかったのだが、遠近法で描かれた絵を見てしまったあとでは、どうもしっくりこない。顏は正面で描きたいのだが、鼻だけは横から描きたい。いや、そうでないとうまく描けない。小鼻を描いてみたり、いろいろやってみるのだが、これだ!と思えるヤツがないのだ。線描きで絵を覚えてしまった私にとっては、これは永遠の問題のように思えた。
そんなときピカソが描いた「女の顔」を見たら、そのまんま描いてあった。それも鼻だけではなく、顏の輪郭線も横向きで、目や口が正面という、いってみれば自分の描きたいものを描きたい角度から描いた、という甚だ都合のいいものだった。これがありなんだー、とわかると絵が面白くて仕方ない。毎日ノートのはじに鼻のひん曲がった女の人の顔を描いていた。
部分的にリアルに描かれたアルルカンの絵にも強く引かれた。ある部分は線描きでまるで描き残しのように見えるのだが、それが描かれた部分をよりリアルに表現していた。背景を描くのが苦手だった私は、なんだ、描きたいところだけ描けばいいのだ、とこれも気持ちが楽になった。
ピカソは何度も画風が変わっている。結婚するたびに変わったという説もある。しかしどれをみてもやはりピカソなのだ。ニューヨークで見たゲルニカも、北の丸公園で見たキュービズムの作品も、教科書に載っている青の時代の絵も・・・。しかし変わるということは、自分が自分ではなくなってしまう恐怖を感じる。だから人は自分のスタイルの固執して、いろいろなことを受け入れようとしない。
ピカソは画風を変えたのではなく、新しい自分を受け入れただけかもしれない。天才とは自分に対して正直に生きている、勇気のある人のことを言うのかもしれない。
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