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chagall
chagall 1887-1985

 シャガールの絵は物語だ。たぶん大昔から、絵とは瞬間をとらえたものではなく、物語を伝えようとして描かれたもの・・だったのではないだろうか。洞窟に描かれた動物の絵なども、伝えたかったストーリーがあるように思えてならない。
 私が子供の頃、意識して描いた最初の絵はUFOの絵だった。今でも時々夢を見るのだが、夜空をものすごい数のUFOが大移動していく。赤や青や黄色に光って、なんとも形容しがたい美しさだ。夢だろうと思って目を凝らしてみると、細部にいたるまではっきりと見えてくる。そのスケールと美しさにいつも感動してしまう。「すごい、すごい」といいながら興奮して眺めているのだ。
 夢の中では重力が曖昧になる。空を飛ぶことができるのだが、といって自由に飛べるわけではない。だんだん高度が下がってしまったり、ときには超低空を飛んでいたりする。自分自身の中に不安な気持ちがあると、どんどん落ちてきてしまう。
 シャガールを見た時、夢の中の物語を描いているんだ、と思った。そうそう、こんな感じ。とりとめが無くて、ふわふわして、大きさのバランスが崩れて、昨日と今日も、あっちとこっちもみんないしょに集まってくる・・・
 漫画家のつげ義春もよく夢の物語を描く。だけど不思議とリアリティがあって、現実との区別がつかなくなる。リアリティがあるということは、やはりそこに現実があるということだ。我々は体験を共有して、それを現実と呼んでいるだけかもしれない。だとしたら私は彼の夢と体験を共有しているようだ。
 映画監督のフェデリコ・フェリーニもそうだ。物語は自由にジャンプしてとんでいく。いろいろなことが起きて、いろいろな人に会うが、それは不自然ではなく、とてもリアリティがある。たとえ主人公が空に浮かんでいても・・・だ。それは私の体験と一致する。
 シャガールは、夢の基本部分は共通だが、物語の部分は私の体験と一致しない。私の感性にない絵の描き方をする。それはアラビアンナイトを読んだときのように異国の物語だ。静かに澄んだ夜のブルーに、街並みが浮かび上がる。そして今夜の物語が始まる・・・